「Blog は毎日書いた方が良いよ」と言われた。
なんか言われると「いや全然書けるけどぉ!?」と小学生みたいに反論しそうになりそうなアドバイス。どうなんだろう。
しかも、これは実行したらしたで、「結局自己顕示欲」「しょうもない文章でネットを埋める害悪」と揶揄される要素も多分に占めているのでつらいものがある。
毎日書けるならでも、書いてみてもいいのかな、という気もしていて、ここ以外にも自分は交換日記を書いているから(前に言った Discord で友達と書いてるやつ)、まあそんな毎日書かなくてもいいだろうと思いつつ、結局書く気がしないでもない。
なんなんだ。はっきりしない男、それが私。
それはさておき。最近『未来への記憶』を読んでいる。上掲の本です。
河合さんは臨床心理学がブームになった後に、自分の周りで強烈に病んだ人が増えたので、その対応のためにと思って読んでいたのだけど、だいたい他者理解や臨床心理的な判断を学ぶことが多かったので、自伝は読んでなかった。
ご本人のいつも自信のない感じや、人生のある場面で河合さんが褒められると褒めた人に対して「ばかにしてんだろ!」とイラつくところとか、共感するところが多い。朗らかなイメージだったから、意外だ。でも育ちが良い。そこは全然意外じゃない。
自分はこっちの新潮社の方を買ってなくて、岩波新書の方でそろえてしまったのだけど、こっちの方が読みやすそうだし写真もかわゆいし、良いな…。
この本についての感想はまあまた別の機会にするけど、この自伝の中で河合さんが「当時はわかってなかったけど、十年後にロールシャッハの結果からわかってて良かったはずのことが浮き彫りになることがある」と述懐するところがあって、ここまで他人に理解を示す、人間好きの河合さんでもやはり他者への理解というのは難しいのだな、と感じた。
少し話がそれるけど、どこで読んだ Twitter(X)評か忘れたのだけど、「Twitter のような SNS は他者への無関心と他者存在への扱いの粗雑さで成り立っている部分が大きい」というのを読んだ。
今はそうでないけど、完全に Twitte(X) をチェックするのが日常の大きな部分になっていた時、自分はたしかに突き詰めれば他人には興味を持たず、無関心さがありながらも人とつながろうとする矛盾(身勝手さ)を抱えていたのかもしれない。
河合さんでも難しいことだけれど、今、自分はわりと他者を理解する姿勢を持ちながら、人間関係を育める部分はその範囲でつきあっていきたいと考えている。
ブログを毎日書いて、それをなんとなく人様に読んでもらうというのが、そういった気持ちにどれだけ貢献するのかはわからないのだけど、まあ実直な気持ちを綴るだけでも効果があるらしいので、やれる限りでしばらく続けてみようかと思っている。