昨日、ちょっと思うところがあってスペースで話そうと組み上げたのだけど、結局やめておいた話を誰かの参考になるかも、と書き起こす思い出話です。
大学一年生傷だらけの塩見くんの話。
浪人してパコが入った大学の科は、外国語科。
この外国語科というのはとにかく女性が多くて、男性が少な目。クラス合同でディベートとかする機会も多いので、かなりコミュニケーション能力も試される場が多いし、単位が簡単にとれない上に成績づけに容赦ないので真剣に勉強してても必修の単位を落としたりするちょっと過酷な科でもある。
塩見くんは、そんなところに入ってきた俺と同じ浪人…浪人というか一年ちょっと何していたのかわからない…でも浪人の、テニス大好きな、いがくり野球少年ぽい見た目のボーイ。あけすけな物言いの多い素直なトリリンガルの子だった。
親の仕事の都合もあって、日本の小学校、スイスの中高、でもその間の一部期間には日本の学校で勉強、とかなり変わったルーツの人だったのだけど、日本でこれからもうずっと暮らすことになったということもあって、大学はうちの学科に入ってきた人だった。
塩見君はテニスだけじゃなくて、日本である程度の期間、野球もしていたこともあって、超ホモソーシャル(ゲイ的な意味じゃないよ)な思考と行動の持ち主で、仲間内でワイワイギャーギャーやるのは得意だし大好きだけど、それ以外はよくわからないって感じの男の子だったから、大学のあの「高校とは違いますよ」みたいな風の雰囲気にはちょっと戸惑っていたようだった。
さらに、外国語科に入ってくる男子っていうのはわりと世慣れた感じの人か、超マジメ系が多いので、あんまり体育会系な感じの人はいないし、その点でも塩見くんは馴染みにくいところがあった気がする。
とはいえ部活はテニス部とテニサーを兼ねて、やりたいといっていたバイトも始めたし少ないけどかろうじていた体育会系出身のもう一人の A くんとお笑い好きの B くん、そんで俺とは話していたから、まあそうすると最低限別に大学生だし楽しくやれているのかなって感じだった。
ところが、五月の下旬あたりから塩見くんがネガティブな発言しかしなくなってきた。
A くんから聞いたらクラス分けのディベートや会話、どれもちょっとついていけてない上にバイトも二つほどクビになって、テニス部でも先輩と問題を起こしたりしてるらしい。
なんで本人から聞かずに A くんから聞いたのかっていうと、ちょっとクラスの後に俺と話してる時に涙目になったり、危うげな発言することがあって、事情があるんだろうけどとても本人には踏み込んで聞けないな…って考えて、A くんから聞いたからなのだけど。
その時はなんでそこまで追い詰められちゃったのだろうと、少し不思議に思ったんだけど今思うとわかる。
- これまで不自由なく暮らしていて急に大学から一人暮らし
(実家にいた頃、家事なんてしたことあるのかも怪しい) - 女性しかほとんどいない中で、少数クラス分けの語科での授業
- 容赦ない成績づけで平気で留年させる語科の厳しさ
- 日本的なコミュニティの作法をしらないでの部としての先輩後輩関係
- 働いたことないのに大学からアルバイトデビュー
- 性の部分も含めた異性とのコミュニケーション、自身の振る舞いの難しさ
これが全部一気に塩見くんにのしかかったんだから、これは中々大変だと思う。
加えて、塩見君は色々な場で違う関係性の人達とまとめてグループになって話す際に、どうしたらいいのかっていう処世術も身につけてないから、何度か細かい諍いも起こしてて、A くんとも喧嘩して話さない時期とかも会ったりして、ものすごく苦しんでた。
この頃同じくして、もうひとり塩見君と仲良しだった B くんはここまで勉強がのしかかる科だと思わないで入ってきちゃったらしくて、この頃ぐらいにはもう大学に来なくなっちゃったし(後に中退)、
あと、同級生でセクシー系の仕事してるってそのグラビアとか見せてくれるわりとあけすけな女の子がいたんだけど、その人に塩見君がちょっと変なアプローチをかけて塩見君についての嫌な噂が流れたりしてしまった時期もあったし、一年生はずっとしんどかったんじゃないかと思う。
俺は別に塩見君とは普通に話すし、試験についても授業についてもある程度だったら全然話もできるんだけど、当時の俺は学費払わないといけなくて毎日複数バイトかけもちしてたから、そこまで大学生活に関わってなかったので塩見君は俺ともそこまで深い話はしなかったから、どこまでのものかはとても書くことはできないのだけど。
あとねー、そうそう。この一年生の時は思い返すと女性陣の態度がことさらにキツかった記憶があって。
イジメではないけどスマートにふるまえない男に対して嫌がってる感じは伝わってくるし、特に性格キツイ子は極力男性陣全体を無視したりしていて、雰囲気も悪かった。
さらにバイトも大学一年の時もそうなんだけど、どうも「俺/私は社会や常識をこれだけ身につけています」というのをアピールしたがる人がいて、それで高校生の雰囲気のままだったり、そういう作法とか身の振り方とかを知らない人をことさらに説教や指導ぽいことを言って叩く人間がいるから、そのターゲットにされた部分もあるんじゃないかと思う。
まあクラスに関して言えば、女子は幼稚園から集団社会的通念にずーっとさらされてるところがあるから、無邪気(に見える)男性陣の一部に苛立っていたのかもしれない。
二年生になった時、塩見君はテニス部も退部させられることになって、必修の文法を一個落としたし二年目も結構しんどそうだった。一年目~二年目はもう思い返しても塩見君は、ずーーっと愚痴と悪口と「セックスしたい」しか言ってなかった気がする。
とはいえ俺と A くんとは塩見くんは全然話するし、俺か A くんがいるときは一緒にいる人とは普通に話すわけだし、一年のときほどは辛くなくなかったのかもしれないけど。
塩見君の良い所はちゃんと怒れるところで、喧嘩にもなっちゃうけど「うるせえ知らねーよ」って塩見君に嫌な思いさせる人に言えるところは良かったと思う(まあ後で涙目になっちゃうから、それを俺か A くんが聞いてあげることもあった)。
塩見君にとっての転機は三年生の頃かと思う。
三年生になると授業が一番難しくなるんだけど、苦手な文法とか教科を学んでた塩見君は元々のポテンシャルとうまく重なって、授業で他の人より秀でてる部分が増えてきた。
留年中退がある程度でるこの語科で、ちゃんと三年生になるまで学んできたのも少し自信になったのではなかろーか。
塩見君は集中力がないところと、話や思考が飛びがちで論理性が弱い所が欠点だったのだけど、図書館とかで俺とか他の男友達と勉強しているうちに自分の行動や脳のパターンをコントロールできるようになったみたいで、レポートとかもわりと評価されるようになってきた。
それと、大学はもう必要なことをまずする場所とわりきったらしくて、学外のコミュニティや学校の帰国子女サークルとかには入っているものの、勉強以外は大学にいなくなって、免許もとってピザ配達のバイトをするようになった。
三年生も終わりの頃は普通の「同級生」の塩見君だったので普通に就職活動の話をして普通に卒論の準備の話をして、普通にバイトあるあるとかを話した。
その頃、ようやく塩見君は日本での「普通」という振る舞いを手に入れたのかもしれない。
でも、塩見君は別に俺の前では「普通」でなくても良かったのに。
俺は別に「普通」とか、どうでも良い。興味もそんなにない。
ある一定の様式や振る舞いが求められる場で無自覚に人を苛む人から攻撃されないように振舞うのは大事だけど、別に塩見君は塩見君のままでよかったのに、と思う。
卒業の頃の塩見君とも普通に話したけど、いつか一年生の頃のような塩見君とも話がしたいと今でも思う。その時は、一年生の時みたいに何も気にせず塩見君らしさをぶつけてくれたらいいと願っている。