ぱこといいます(仮)

特定的な情報(人物描写など)は意図的に情報が改変されています

『養老先生、病院へ行く』 養老 孟司 (著), 中川 恵一 (著) ヤマザキマリ

 

 

この本を買った経緯は少し屈折しています。

 

うちの相方が強烈な病院嫌いなのでがん検診も受けないし健康診断も 3.11 以降行かなくなってしまって、それが嫌だったので自分は立ち読みでもともとこの本はある程度読んでいたのに知らないふりをして養老先生好きの相方に

 

「こんな本あるけど、おもろいかな~?」

 

と声をかけて興味を持たせてみようと企んだのが、始まりです。

 

幸い、この画策は功を奏して、相方は興味を持って読んでくれました。

 

 

うちの相方の価値観は「正直がんとか言われて生きていけない。だから、健康診断も検診も受けない。そうなったらそうなった時そのまま人生が終わってほしい」というスタンスです。

 

わりと明言されることはないですけど、今の世の中でそういう人は少なくないのかな、って気もしますが…うちの相方の場合は、そもそも前向きな価値観で生きているわけではないから、こういう発言になるんだろうなって気はしています。

 

 

一方、自分はこの本を読んだら、相方に感化されていた部分も大きかったんですが「がん検診くらいは受けるかあ」という気持ちになりました。

 

中川先生(養老先生の弟子であり、現東京大学医学部の医師)の説明が真摯で、納得いくものだったからです。

 

曰く、「がん検診でがんが見つかった人の場合は助かる率は低くない」「現代医療においては先生様の御診察という形にならなくなった代わりに、統計的なデータを使用することで画一的ではあるものの、進歩した治療を行えるようになった」というものです。

 

言えば養老さんの医学界から発しているメッセージの真逆に近いです。中川先生ははっきり書かないものの、結構な…

 

結構な(言葉を選んでる)…イヤミ…いや、まあ…いややっぱりあれはイヤミだな…イヤミを養老さんに向けてちょびっとちょびっと書いています。この本はほとんどが往復書簡のような本なので、それを養老さんと中川さんがニコニコやりとりできているのがすごいです(これは本当に。お二人とも器が大きい)。

 

養老さんは亡くなった飼い猫まるちゃんの死に向かっていった時のけっこうな動物病院での治療についてや、ご自身の病院の治療の件でも矛盾しているようでしていないようにも見えます。

 

でも、これは本の中でも書かれているように矛盾しているというよりは、そんなの人は場面で考えも意見も見える態度も変わりますよと言う話で、パコとしてはそれは理解できる気がします。論理一本一徹で生きる人間なんて、そらあいないでしょう。

 

とはいえ読んでると中川先生はそこらへんがこの本の中で、正直はっきりさせてほしいところだったんだな、と思います。

 

なんせうちの相方のように、世のお年寄りやおじさんおばさんの結構な数の人が「養老さんが言っているし、私も俺もがん検診なんて別に受けなくてもしかたない」みたいな態度をとる根拠としているところがあるからです。

 

それも本の中で触れられていて、中川さんとしてはまあやんわりと「でもがん検診で見つかれば結構な人が治療できて、その後も長く生きられるのだからそっちの方がやっぱり死というものを真っ向つけられた時に、正直後悔しちゃったりするもんですよ」とメッセージを出しています。

 

中川先生は糖尿病患者でも「甘い物食べたいときはある程度食べてもしかたない」という結構な余裕をもって患者を診る方でもあるので、説得力がある気がします。

 

うちの相方はこの本読んでもまあ…あんまり変わらなかったですが、元々「いざとなったら世の中からはやはり冷遇されるゲイとしてはどうする?」っていう話も先延ばしにする人なので、半分諦めつつ付き合って、がん検診くらいはいつか行くようになってくれたらええなあ、くらいに考えています。

 

人がやいのやいの言うてもしかたないですからねえ、こういうのは。

 

まずは自分ががん検診に行かないといけませんねえ。相方に「それでがんが見つかったらどうするんだ」と詰められましたが、まあそりゃあそのために検診受けるわけですし、覚悟決めてまずは自分が検診になれていこうと思います。