Twitter の鍵を外しました。なので、もうこれからはこうやって Tweet を貼れる!↓
しのぶちゃんじゃないけど、発散もできないし自分でもどう扱っていいかわからない怒りを持つことの苦しみが溜まりすぎて、なんとなくすごく哀しい気持ちとか、よくわからない虚無感に繋がってる人は結構いると思うんよね
— Pako Hewlett (パコ) (@3CNishica) 2021年6月11日
https://t.co/gyQw73jLnD pic.twitter.com/nfKFFudH5K
— Pako Hewlett (パコ) (@3CNishica) 2021年6月15日
https://t.co/y5TMKJAkpN pic.twitter.com/HreUG0rWMY
— Pako Hewlett (パコ) (@3CNishica) 2021年6月14日
これは少しきっかけが一応あるんです。
リリーフランキーさんとみうらじゅんさんの 2010 年に行われた対談がきっかけで…。あーこの本、めっちゃ前だ。3.11 の少し前あたりに行われた対談本なんですけど。
ここで「将来の不安とか、設計とかプランとか言ってるけどオマエそれは自信がないだけにしか聞こえないのよ」「なにがどうなるかなんてわからないことを不安っていう無駄」みたいな話のところがありましてね(正確になんなのかは忘れた。でもわりと最初の方にあるよ。こんなタイトルの本だし。良かったら読んでください)。
これがねー、なんかちょうど最近考えてたことと符合するなあと思いまして。
鍵垢っていうのは、まあ LGBTQ+ 的なものに対する攻撃や悪意であったり、パコと同じゲイの人からの嫌がらせであったりとかそういうものへの防御なわけです。自分の場合は。
SNS って、特に今は叩ける人と叩ける理由を探す場になっている面が強くて(鬱屈している人が SNS 中毒になりやすいというのもあると思うんだけど)、そこを鑑みての鍵垢だったんですけど、まあ…そういうのを先回りして考えるのもちょっとおかしいかなあと思って、鍵は外すことにしました。
どうもみんなで何かこう、活力を育んでいこう、若い人にもっと輝いた目をしてもらおうみたいな方向の意識って、残念ながら日本はあんまり働いてないみたいなことを海外の記事で言われたのもあります。もうちょっと鍵あけて楽しくやれたらいいなあなんてね、少しだけでもね、思うわけです。
というわけで、Twitter (@3CNishica) 鍵をあけております。よろしう。
追伸
最近 H さんには毎晩寝る前に手をあわせています。安らかに。