Podcast 『明日もゲイ』の最新回でアソコさんが言っていたけれど、東日本大震災の影響なのかなんなのか、近頃のジャンプのビッグヒットコミックスはどれも過酷な上に無慈悲な部分のある話が多い。
鬼滅の刃が女性作家でまだ温かみがあるのに対して、『呪術廻戦』や『チェーンソーマン』は男性という部分もあるのか、さらに冷酷に無慈悲な視点が垣間見える気がする。
『呪術廻戦』や『チェーンソーマン』の乾いた感じが強いだけでなく、さらにメタ的な視点(作者の「おもしろくなるように描いています、おもしろくなるならどのキャラが死のうが苦難に満ちようがなんでもいいかも」という意図が垣間見える)を感じさせるのが特徴的だと思う。
『呪術廻戦』や『チェーンソーマン』は、この「漫画ですよ。どうとでもしますし、面白くなるように創ります」というドライな感じが個人的にはちょっと最初しんどくてあまり読み進めてなかった。
つくづく漫画というのは、空気感や雰囲気からまるごと伝えてくれるコンテンツだな、と思う。
ちなみに、このメタ的な「漫画は漫画ですよ」という視点も新しいもので、メジャーな作品で言うと『ぼくの地球を守って』の作家コメントから始まって、エヴァンゲリオン旧劇場版の「現実に帰れ」で広がった、わりと新しめの概念だと思う。
そろそろもう、その視点も浸透しきった…のかもしれない。
この三作品、作画についても、デザインとしての切り口が鋭いのが共通していて、「絵が荒くて少し受け付けない」という人もいたけど、そういった画面を整えるよりも勢いと印象的にどう作画を置くか、という感じが面白いところだと思うので、あまりきれいにしていないというだけで読まないのももったいないように感じる意見ではある。
また、どの作品もアニメにすると映える(映えそう)なのも共通しているんじゃないかと思う。
なんだろう、アニメにすると少し漫画でまるごと伝わってくる雰囲気が和らいで、キャラクターごとの立場が強まるのが良く作用しているからかもしれない。
あまりに展開が鋭く、早いからパコパコみたいな俗人にはアニメで雰囲気も和らげた上に行間(コマ間)の感覚を補填してくれるのが良いのかも。声優のキャスティングの仕方も鬼滅、呪術廻戦は似ていて、バリエーションある役をこれまでこなしてきた人が多い。きっと、一面的な形でない声質を求めてたりしてるのかもね。
作家の朝井リョウさん、歌人の加藤千絵さんがラジオで、「作品を描く時に 3.11 以前にするのか、以後にするのかで悩むときがある」という話をしていたことがあって、それほど日本人の意識に色濃いものなんだな、というのが実感させられる最近のジャンプブームではある。
このブーム、正直そこまでついていけてない。男性的なお二人の作品に関してはアニメじゃないとついていけない(辛くなる)。
つまり「これは漫画です」というメッセージがまず根底にある上でエンタテイメントとして面白くなるように工夫を凝らして作って、その中で人が生きて死に、戦う物語を読んでいく。そこに救いはなく、ただ人が死に、生きる人はある日急にその生命が終わるまで生きる。
純粋なエンタテイメントとして、研ぎ澄まされたものを感じる。
そんで『呪術廻戦』と『チェーンソーマン』にも違いがあって、『チェーンソーマン』は視点が低くて、まず生き残ることとその中で唯一の性的な悦びが基本的な支えの構造になっているのもすごい。戦争映画みたいな乾いたバイオレンスの物語だ。
『呪術廻戦』はもうメインキャラクター二人の終わりは決まっていて、あと二年でどう畳むかということらしいけど(これを事前に普通に宣言するのもおもしろいね)、二作品ともどう終わるかがとても気になる。そして、どう受け止められるかも。
新時代になったな、と改めて感じるムーブメントのひとつだと思う。